フューチャーラボラトリ解剖学 第3回保育ビジネスには、保護者・保育士・経営者、3つの視点が必要。夢を追い続ける!ベンチャー・ドリーマーが語る

フューチャーラボラトリに対しアドバイスをくださっている外部の有識者の方々に、 ” フューチャーラボラトリとはなにか?”そして、”橋本昌隆がこれから成すべき事はなにか?” をお伺いするのがこの「フュー チャーラボラトリ解剖学」。

第3回はフューチャーラボラトリと同様にベンチャーから成功の道を歩み続けている株式会社チャイルドハートの代表取締役、木田聖子氏にご登場いただきます。

インタビューは在学中にフューチャーラボラトリのインターンとして在籍し、この春から編集・出版の道に進む事になった関西学院大学卒の真野絵里加さんがお話を伺います。サポートはいつものようにフリーランスジャーナリストのチバヒデトシです。

Guest

株式会社チャイルドハート 代表取締役

木田聖子

Interviewer

関西学院大学卒

真野絵里加

構成/執筆

チバヒデトシ(ジャーナリスト)

ウェブカメラ! ICタグ? チャイルドハートはハイテク保育園!?

 チャイルドハートは、乳幼児の保育事業ならびに、教育の研究やインターネットを利用した乳幼児の保育・教育に関する情報の提供サービスなどの事業を行っているベンチャー企業です。

特に保育にITを活かした新しいサービスを導入し、広く注目されています。

 それは同社が運営する保育サロンにあります。例えば、明石海峡大橋を望む、優れた環境で開設されている舞子駅前保育サロンでは、ウェブカムを導入し、園内で過ごしている子どもたちの姿を動画配信し、職場や自宅などの離れた場所にいる保護者がいつでもリアルタイムで確認し、安心して子どもを預けられるしくみを提供しています。

 また、加古川駅保育サロンは、市役所や商業テナントが入居する駅近くのビル内という事もあり、人の出入りが激しい場所にあります。必ずしも安全とは言い難い場所がらから、ここでもユニークな取り組みをしています。子どもたちの衣服にICタグを取り付ける事で、園児が勝手に外に出てしまうとブザーが鳴り、保育士の携帯電話にも連絡が入る事で、子どもたちの安全を確保するというものです。

 なんとも大げさなと思う方もいるかもしれませんが、昨今、子どもたちが事件や事故に巻き込まれるケースを見る付け、保護者はもちろん、子どもを預かる側にとっては安全対策とリスク軽減の重要な取り組みと言えるでしょう。

 では、チャイルドハートはただのハイテク保育園なのでしょうか?それはちょっと違うようです。どんな風に違うのか、チャイルドハートの代表取締役を務める木田聖子さんにお話をうかがい、木田さんがどのような事を思い、このチャイルドハートを起業したのか、まずはそこからうかがっていく事にしましょう。

株式会社チャイルドハート
代表取締役
木田聖子氏

 木田さんは、武庫川女子短期大学の初等教育課幼稚園課程を卒業した後、幼稚園に勤務し、その後、OLを経て結婚し、専業主婦を経験しました。

 1992年、個人事業主としてチャイルドハートクラブを設立し、2000年に株式会社チャイルドハートの代表取締役に就任し、現在に至っています。

―――まずはじめに、木田さんがなぜ、チャイルドハートを設立したか、その経緯についてお聞かせください。

木田:私はもともと幼稚園の先生でした。夢を持って、幼稚園の先生になった時は、こうしたい、ああしたい、という思いがありました。ところがそこには、自分の夢とギャップがあって、挫折感を味わいました。

それでも1年間、耐えに耐えてがんばってみたのですが、結局、辞めてOLに転職しました。その後、結婚して仕事を辞め、専業主婦になったんです。3年間、主人と二人の子どもに囲まれ、専業主婦として、幸せに暮らしました。

私自身は子どもは大好きですし、夕方になると子どもたちと主人を迎えにバス停に行ったり、いまでは考えられない程、ほのぼのした幸せな日々を送りました。

―――木田さんのママ姿が目に浮かぶようですね。

木田:専業主婦の生活はそれこそ三食昼寝付きで幸せでした(笑)ですが、同時にそうした日々の中で、“木田さんの奥さん”とか、“○○ちゃんのお母さん”と呼ばれて、私がなくなってしまうというか、心の中の自分というのを大事にしたい思っていました。世間に認めてもらえない、なにかしたい、なにかしなければ、と感じて、3年間悶々として過ごす日々でした。

―――幸せな日々にいても、“自分の夢”が心のどこかに引っかかっていた。

木田:そうです。やっぱり、自分でなにかがしたい! 夢を追いかけたい! と思う気持ちがあったんです。それで、ついに一念発起して、自分でやってみよう!そう決心して、1992年に幼児教室を個人開業しました。これが「チャイルドハートクラブ」で、現在のチャイルドハートの前身になりました。教室も一気に5つまで増やして、100人ぐらいの子どもを集めて、順調に運営していました。

―――順風満帆のスタートだったのですね。そして、そのまま、いまのチャイルドハートに成長したんですね。

在学中、フューチャーラボラトリにインターンとして在籍
関西学院大学卒
真野絵里加

木田:そうでもないのです。確かに7年間、ずーっと黒字でしたが、収益も横並びでした。
私には常にステップアップしたいという部分があって、やはりその時も、なにかもっと大きい事がしたい、と思っていました。いまでこそベンチャースクールのようなものはいっぱいありますが、1999年の当時はベンチャーの走りの時期で、神戸の商工会議所がはじめて起業塾*というもの開くというので、そこに参加したんです。
 
 その頃の私は、社長としてやっていくのとは全然違って、スタッフと一緒にトレーナーにジーパン姿で一緒に動いていました。経営のことなんかまったくわかりませんでしたので、そのベンチャースクールで、いろいろなノウハウや人脈を作って、お金も作って、ようやく2000年に、会社としてチャイルドハートを設立したんです。

※起業塾:神戸商工会議所が平成11年度より開講しているベンチャースクール「KCCI創業塾」のこと

―――起業することそのものが大変だった時代で、まして女性が起業するのは厳しかったと思うのですが、そうした中で、ご家族、特にご主人は起業についてどのような反応をされたのでしょう?

木田:主人も当時から独立・起業したいと言っていまして、起業についてはいろいろと応援してくれました。チャイルドハートという名称も主人と一緒に考えたんです。当時、主人はホテル勤務でしたので、平日、家にいることが多くて、チラシ配りとか、説明会のお手伝いなんかもしてくれたりしました。ただ、会社設立して忙しくなってからは、“開業しろとは言ったけど、社長になれとは言ってない”とか言ってますけどね(笑)実はこの1月に主人も土地家屋調査士として起業したんです。それも一月目から黒字で、ちょっと悔しいんです。私はとっても大変だったのに、全然、苦労してない(笑)

―――木田さんの夢に向けての行動が、いまのチャイルドハートにつながっているのですね。では、木田さんが“保育”をビジネスにしようとした理由をお聞かせください。

木田:正直なところ、私の中では、保育とビジネスはあまり結びついていないんです。

 自分がやりたい事がしたい、それで食べて行けたらいい、それでまわりの社員や、お預けいただいているお子さんやおかあさん方に喜んでもらえれば、それでいいと思うんです。そうやってきたことで、“気がついたらビジネスになっていた”という事で、こうして、こうやって儲けるという戦略のようなものがあった訳ではなかったんです。本当に自分がやりたい事、夢の追求のようなものです。

―――木田さんのその夢を追求する原動力ってどこから沸いてくるのでしょう?

木田:人って挫折を味わう事がバネになると思うんです。私の場合も、幼稚園に勤めた一年間に挫折を味わって、それがずっと心残りだったと思うんです。いまならこういう保育をしたい、私の子どもにならこういう保育をしたいという事がポイントになったと思います。それが夢につながったんだと思います。

時代が求める女性の労働力に、需要高まる企業内保育

―――木田さんがお考えになる、お子さんやおかあさん方に喜んでもらえる保育とは、どんなことでしょう? チャイルドハートではそれをどのような形で実現しているのでしょう?

木田:そうですね、子どもたちの安心や安全、保護者のみなさんへの情報開示を大切にした質の高い保育サービス、ということになります。

 保育をビジネスとして進める上で、サービスを提供する側と受ける側、双方の視点が不可欠だと思うのです。つまり、“顧客である母の視点”、“社員である保育士の視点”を持ち、さらにもうひとつ、“経営者の視点”を持つことです。子どもたちのために何ができるかが重要だと思います。

株式会社フューチャーラボラトリ
代表取締役社長
橋本 昌隆

 また、現場の生の声を日々の保育の中に取り入れ、常に進化していける保育サービスを行っていくことが大切なんです。具体的には、施設のハード面では、全面ガラス張りで中が見渡せる内装にしたり、離れた場所から子どもの今を見ていただけるウェブカメラなど、さまざまな工夫を重ねています。また、子どもには画一的な集団生活ではなく、一人ひとりの個性を活かした教育が実践できるように心がけています。

 自分の子どもを預けたくなる、自分の子どもにさせてみたい、と自分自身が望むようなサービスを提供する、これがチャイルドハート保育サロンの原点なんです。

―――なるほど、自分の子どもにさせてみたいですか。これは重要な視点ですね。では、そうしたサービスを提供しているチャイルドハートのビジネス展開の現況についてお聞かせください。

木田:現在、直営する保育サロンが舞子と加古川に二園あります。この他、運営委託いただいている園が3園、コンサルティングしている保育園が7園あります。ご存知の通り、このところ国内の労働人口が減ってきていて、これをどうやって埋めるのか? という課題があります。

 私たちの生活を見回しても、居酒屋に行けば中国の方が勤められていたり、コンビニもそういう方が多いですよね。どうしても足りない労働力を、海外の方やご年配の方に頼る方向にありますが、私は一番は女性の方たちだと思うんです。女性は幅が広いし、視野が広いんです。女性の労働力はとても大事だと思うんです。こうした背景からか、2005年以降、保育施設を作りたいという企業からの相談がどんどん増えています。

 2006年より加古川のサロンは神戸製鋼所の企業内保育施施設として提携させていただいています。今後、加古川ではタクシーでの送迎サービスを予定しております。まず、神戸製鋼所の社宅にチャイルドハートから先生がうかがって、お子さんをお預かりするというサービスです。それ以外にも神戸市の三聖病院では院内保育園を受託したり、4月にも岡山県に企業内保育園を新設する予定です。

―――順調にビジネス展開が進むことで、木田さんがやりたいと思った保育を行うことが難しくなったりしませんか?

木田:私がいなくても、保育の“質”を向上させる方法を考えるようにしています。

 ウェブカメラもそうです。これはその当時(2001年ごろ)、園長による園児への虐待や、不十分な管理体制のために死亡事故が起きるといった、保育園内での事件が多かったこともあって、設置を決めました。その場合も園児のプライバシーを守りながら見る事ができる工夫をしています。

 また、無記名のアンケートを取っていて、先生の質をチェックしたり、フリーアンサーにも書き込んでいただき、フィードバックして、改善できる点はすべて改善していくようにしています。また、先生自身にも自分をチェックしてもらっています。どこができているとか、できてないとかを毎月出してもらうことにしています。質を追求するには、必ずなにかあるだろうと考え、とにかく質の向上を心がけています。

後編では、夢を追い続ける木田さんが、フューチャラボラトリとの接点について、そしてこれからの大きな夢について語ります

時代が求める女性の労働力に、需要高まる企業内保育

―――橋本社長との出会ったきっかけと、最初の印象をお聞かせくださいますか?

木田:4、5年前にベンチャーのプレゼンテーション大会がありまして、そこでお互い、前に出てプレゼンしたんです。そのときはじめてお目にかかりました。印象は、固い! けど、いい人という印象。なんかいつもピシーッと立っていませんか?

橋本:(笑)合気道をやっていたもので。最初にそういう立ち方のトレーニングをするんです。その頃はまだ開業の前で。開業の準備をしていた頃で、その時はフューチャーラボラトリの事業計画をプレゼンしたんです。

―――最初からお互いのビジネスに興味を持ったのですか?

木田:正直にいいますと、「ポスドク」の意味がわからなかったし、ポスドクという言葉自体はじめて聞いたということもあって、興味が沸かなかったんです。それがあるとき、ポストドクターについて書いている新聞記事を見つけまして、それを読んで理解しました。それで、すごい素晴らしい仕事をされているんだな、と思ったんです。しかも、社会問題になっているポストドクターに焦点を当てて、誰も目につけないところに着目している事業内容にあらためて興味を持ちました。

橋本:僕の方はとても興味があって、地元ということもあって、後日、施設を見学させていただきました。まず、加古川の施設にびっくりしました。クオリティが高い!また、海と明石海峡大橋しか見えない舞子の園がとてもいいんです。本当にいいところ。これを見て、公立の保育園や幼稚園は一体なにをやっているんだろうと思いましたね。そして、それ以上に、それらの施設がちゃんとビジネスとしてまわっていることに驚きましたね。木田さんはこれまでどうやってきたんだろうとますます興味を持ちました。

木田:それをきっかけに、いまはいろいろな方を紹介していただいていまして、大学内の院内保育とかで、大学関係者の方とか。橋本社長の人脈とネットワークの凄さにはいつも驚かされます。

―――橋本人脈バンクですね(笑)では、二社がコラボレートするとしたら、どんなコラボレーションが想定できますか?

木田:いろいろなことが考えられると思いますが、例えば、最近、ベトナムに進出している日本企業での企業内保育について、何度かベトナムに行っているのですが、ベトナムの方たちはとても勤勉ですので、ITの進展も目を見張るものがあります。そういう方たちの中にもポスドクの問題があると思います。私たちが現地の工場内に企業内保育園を作り、そちらの工場とフューチャーラボラトリが提携して、人材の活用を行ったり。そういったことができたらおもしろいでしょうね。

橋本:事実、そういうところでこそ、高度な人材をコーディネートする必要があるのですが、今のところ国内で忙しく、海外にまで手を付けている暇がないんです。そういう点では、木田社長とともに海外にも進出できればと考えています。

 ご存知のように日本はいまやエネルギー、食料自給力がとても低くて、かなりの部分を海外に頼っています。そして、その代わりになにかを売らなければいけません。それができないと国が破綻することだってありえます

 大手のメーカーの製造業が、優秀な工業製品を輸出することで成り立ってきたこれまでのスパイラルが崩れてきていて、そういったマイナス面が、ポスドクの問題に集約されているとも言えます。多くのポスドクの人たちには子どもがいません。生活が厳しくて、育てられないんです。また、フリーターやニートの人たちもそうです。人生設計をして、子どもを作るのが難しくなっているんです。

 これからますます相当厳しい世の中になってくる中で、フューチャーラボラトリとして、学生向けのインターンシップをボランタリーに行ったり、社会還元的な社会起業家創出といったエリアの仕事を増やしていこうと考えています。

―――橋本社長のこうした考えをお聞きになられて、フューチャーラボラトリにどんな期待を持たれますか?

木田:私どもはこれまで、保育の中で社会問題になっていることを解決するために、保育の中身に工夫を重ねてきました。

 それは事業を継続するために必要なことは、目先の利益だけではなく、問題になっていることを解決するための力強い思いと努力が必要だと思ったからです。それを解決し、ビジネスに結びつけた時、会社は大変重要な存在価値を持つと思います。

それを実現しているフューチャーラボラトリは、素晴らしい会社だと思いますし、これからはますます、世の中に大切な存在になっていくと思います。ぜひ、環境問題に対して画期的な提案ができる、ポスドクの集団を作っていただきたいと思います。

「この園があって、よかった!」と喜ばれる園づくり

―――最後になりましたが、チャイルドハートの今後の展開についてお聞かせください。

木田:チャイルドハートの今後の展開としては、保育の質を維持するためにも、性急な展開はせずに、多くとも半年に1園程度を手がけていきます。特に今後は直営は出さず、企業内や病院内、大学の研究施設内などに委託運営の形での展開に力を入れていく予定です。

 ひとつひとつの園を子どものように愛情をかけて育てて、地域の人や利用いただいている保護者のみなさん、働いている保育士、そしてなによりも子どもたちにとって、「この園があって、よかった!」と喜ばれる園づくりをしていきたいと思います。

―――では、木田さんのこれから追い続けたい夢はどんなものですか?

木田:今度の夢はとっても大きな夢です。さきほども申しましたが、最近、ベトナムでの企業内保育に関してお話を進めています。こうした海外進出の話になると、断然、中国の話となるのですが、最近ではベトナムに大きな工業団地が増えていて、工場が中国からベトナムにシフトしています。

 ベトナム人はきっちりしていて勤勉なところが日本人と似ているところがあって相性がいいのだそうです。最近の中国に比べると賃金も安いという事もあります。そこに企業内保育園を作りたいと考えています。

 それには理由がありまして、ベトナムはまだまだ発展途上で、まるでタイムマシンで過去に戻ったと錯覚するほど、昔の日本を思い出させるようなところがあります。そういうところでは、保育園が絶対必要になると思います。進出する日本の企業内で子どもを預かる施設が必要になるし、もうひとつはベトナム人のマネージャの子どもを預かる必要も出てくると思います。

 ベトナムでもそうなのですが、小さな子どもたちが、何かを売ろうと車に近寄ってきます。先日もダイビングをしに行ったセブ島で、子どもが貝を見せにきて、いくらです、と言うことがありました。そういう子どもたちを企業内の保育園で預かって環境などについて教育をし、その親には工場で働いてもらい生活を向上させるようにしたいんです。

 ネパールの工場に保育園を作った女性がいるのですが、工場の生産性もよくなり、お母さんたちの収入も増えて、一石三鳥になった、ということがありました。こういうことがベトナムでもできるんじゃないかと考えています。ベトナムの郊外には映画に出てきそうなお洒落で豪邸のようなお家があるんですが、ベトナムに進出することができたら、そういう家にレンタルで住んで、日本とベトナムを行ったり来たりしながら、仕事を続けたいですね。

―――夢を追い続けるのは大変だと思いますが、持続しつづけるためのコツはありますか?

木田:夢を形にしたいといつも思っていますし、到達したらそれはもう夢じゃないんです。夢は手が届いたら、夢ではなくなります。私は、目標とか夢があって、それを追い続けることが、とても好きなんです。それに私はこの仕事を仕事だとは思っていないんです。夢は私の生活の一部だし、いつも自然体なんです。

 そういう意味では、むしろ夢がなくなることの方がしんどい。こう見えても仕事も遊びもバリバリやるタイプですし、なんと言っても性格がポジティブでストレスがたまらないことがいいんだと思います。

―――今日は貴重なお話をいただき、ありがとうございました。